タラッツ氏が来日したのは.1989年1月のことです.
欧州美術クラブ&JIAS合同の招待セミナー;
”現代カタロニア・アートについて”の講演が終り,
恒例のレセプションが始まりました.これは有名な
客人を前にした時よく起こることですが,その人の
周りに空白地帯が出来てしまうことがあります.
タラッツ氏の印象はどちらかと言うとボヘミアンな
芸術家というよりは謹厳な学者といった風貌で,
このことがさらに空白を助長したのかもしれません.
しかし,僕にとってはかえって話しに割り込む必要
が無くなっただけ好都合でした.持参した小品を
片手に下手な英語で”Excuse me, but would you
kindly give me your ・・・ ”といきなり切り出し
ました.すぐにそばの通訳の方が助け舟を出して
”作品を観て頂きたいとの希望ですが”とスペイン語
でひきとってくれました.タラッツ氏は僕の作品
ファイルを手に取り無表情で観て行きます.
”だめかな”と不安が頭をよぎります.”すばらしい.
優雅だ”.通訳の方の言葉が僕の耳に響きました.
”えっ!何とおっしゃいました”.通訳の方がもう一度
タラッツに二言三言たずねました.”優雅だと
おっしゃて居ます”.僕は信じられない思いで
呆然と立ちすくんでいました.タラッツ氏は相変わらず
無表情でたたみ込んで来ました.”あなたが
望むなら,私が編集するスペインの雑誌に掲載して
みたい”.望むも望まないもありません.しかし, 
こんなことってあるのだろうか.僕は再度通訳の方
に確認をお願いしました.”馬郡氏(欧州美術クラブ
代表)とこの件について連絡を取るよう”というのが
彼の返答でした.しかし,運命は僕に微笑みません
でした.それからまもなくタラッツ氏は体調を崩して
しまい,この話は終りになってしまったからです.
振返ると ,タラッツ氏との出会いほど深く心に刻まれ
た出会いは後にも先にも無かったと思っています.
無名の後輩に対する誠実な対応において,まさに
タラッツ氏はいささかの迷いもない断固たる態度に
終始しました.評論家にもてはやされ,テレビの
バラエティー番組に登場する余裕は有っても,
アートを志す者の作品を一瞥する一秒の時間も
惜しがる”巨匠”に出会った時の驚き!そう言った
”巨匠”・”天才”の傲慢にへつらう無名の芸術家は
多いにしても,彼らの創造の泉は真剣な対話に
よる豊かさを失い,やがて涸れて行くでしょう.
”なんだ,このしょぼくれた絵は.僕ならこんな作品
は5分で描ける.いや5分も要らない,3分で充分”.
こう言った発言から何かを引き出すことが出来る
のでしょうか.親切にも僕は反論しました.”でも
僕の作品は描いてはいないので(3分では無理です
よ)・・””何を君は言っているのか.そんな意見は
僕等が何十年も前に言った意見じゃないか”.その
”巨匠”とはついに最後まで心が通い合うことは
有りませんでした.